Tumneyのブログ

20代後半の国際公務員。2020年1月からバンコクで雇用・労働問題に取り組んでいます。

プロレタリア文学「蟹工船」を読んでみた

こんにちは、Tumneyです。雇用や労働の問題に関心があり、現在はタイにある国連機関でアジア太平洋地域の起業家育成や中小企業支援に携わっています。

今回は労働者の文学、プロレタリア文学の作品の中から小林多喜二の「蟹工船」をご紹介します。この作品は1929年(昭和4年)に発表されたもので、オホーツク海カニを獲り缶詰に加工するボロ船「蟹工船」で働く漁夫たちの過酷な労働生活や、監督との闘争劇を描いています。

 

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小林多喜二は秋田の貧しい農家に生まれ、北海道の小樽で銀行員として働きながら労働運動や執筆活動を行っていました。1931年に日本共産党に入党し労働者運動を指揮しますが、1933年に特高警察に逮捕され、29歳という若さで殺害されてしまいます。しかしその作品はその後多くの読者に感銘を与え、小林多喜二は日本のプロレタリア文学の第一人者とされています。私は労働運動の歴史や思想について元々あまり詳しくありませんが、色々と調べた知識も含めつつ、内容と感想をご紹介します。

 

あらすじ

帝国資本主義国の日本と共産主義国ロシアが対立していた1920年代、オホーツク海では、敵国ロシアとの境界線でカニを獲り缶詰に加工する蟹工船が操業していました。そこで働く漁夫の多くは青森、秋田、岩手などの貧しい農村出身の季節労働者で、元は学生、鉱夫、百姓、漁師などです。

彼らが乗船した蟹工船博光丸は今にも沈没しそうなボロ船で、漁夫たちはとても汚い一室で寝食を共にします。シャワーや食事も十分に与えられず、シラミで体中が痒くなったり、脚気で死亡する漁夫も現れます。また、カニが大漁だと労働時間も長引き、過酷な肉体労働で漁夫たちの体はボロボロになっていきます。

ある時、小舟でカニ漁に出ていた数名の漁夫が遭難し、ロシアの領土に漂着します。共産主義国ロシアで彼らは日本の労働者として親切にしてもらい、数日後、元気になって博光丸に帰還します。いままで敵国だと思っていたロシアが労働者に優しい国と知った漁夫たちはそれから徐々に共産主義的な思想をもちはじめ、団結して作業をサボったり、待遇改善を求めて反乱を計画したりします。

しかし、会社から蟹工船の操業指揮を任されている監督の浅川は、体罰や監禁などあらゆる非人道的な手段を使って漁夫たちを働かせます。病気や体罰で死者が出ても、全く気にしない極悪非道の人物で、反乱を計画した漁夫のリーダーたちは結局彼によって反逆者として日本の駆逐艦に突き出されてしまいます。しかしそんな彼も、最終的には資本主義が天罰を下します...

 

小説から見えてきたもの

小説「蟹工船」は当時の社会背景をベースとしたフィクションなので、全てが事実とは言えません。しかし、この小説を読むことで当時の様子を色々と理解する事ができます。私にとっては次の3点がとても印象に残りました。

1. 東北地方の貧困層の現実

あらすじで説明した通り、蟹工船の漁夫のほとんどは東北地方の貧困層でした。彼らは普段は炭鉱で働いたり、小作農として畑を耕したりしていますがカニ漁の季節になると漁夫として蟹工船に乗り込みます。極寒のオホーツク海で行われるカニ漁は死も覚悟の非常に過酷な仕事ですが、それでも彼らが漁夫に志願するのは、元の仕事がそれ以上にきついか、それだけでは生活が立ち行かないという厳しい現実があったからです。

小説の中では、漁夫の一人が夕張炭鉱で鉱山爆発を経験し、仲間を犠牲にして自分だけ生き延びてしまったという話や、連絡船で家族からの手紙を受け取った元百姓の漁夫が、栄養失調で息子が半年も前に死んでいたことを知り悲しむ場面などがあります。

彼らはそれだけ危険な仕事をしても大した賃金をもらえませんが、自分や家族の生活のため、そうした仕事に就かざるを得ません。彼らの命は驚くほど安く売られている、というような描写が小説の随所に見られました。

2. ロシアと敵対する日本

当時の日本(大日本帝国)は、軍隊と資本家が強大な権力を持つ帝国資本主義国家で、共産主義国ロシアとは緊迫した対立関係にありました。小説では、蟹工船博光丸の監督、浅川が「カニ漁は露助(ロシア人)との戦争であり、日本男児としてロシア漁船に絶対に負けてはならない」といって漁夫たちを鼓舞したり、ロシアの領海に侵入してカニの密漁を行ったり、博光丸を護衛するため日本の駆逐艦が近くに停泊する姿が描かれています。

一方、日本国内では労働者や農民層を中心にロシアの共産主義に影響を受け「赤化」する人々が現れ、政府は彼らが全国の工場で引き起こす労働争議を抑え込むことに苦心していました。

3. 道徳やルールを無視した過剰な利益追求

当時の日本は、日本の工業発展に大きく寄与する資本家の権力があまりに強く、彼らの利益追求を規制する仕組みが不十分でした。博光丸の監督、浅川はそんな資本家の悪行を全て体現するような人物で、船長が他船舶の救難信号を受信して救助に向かおうとしても「救助で数日を無駄にすれば収入が大きく減る」といって阻止したり、病気や怪我で働けない漁夫は放置して、死んでも海に投げ捨てるだけだと言い、できるだけ多くのカニを獲ろうとロシアへの領海侵犯も平然と行いました。

どこまでが実際に起きた出来事なのかは分かりませんが、当時、資本家の過剰な利益追求が過酷な長時間労働や3K労働を生んでいたことは間違いないので、こうした世相が刻々と小説の中に現れています。

まとめ

蟹工船」は私が読んだ2作目のプロレタリア作品です。前に読んだ徳永直の「太陽のない街」に比べると言葉遣いが現代風で読みやすかった印象です。また「太陽のない街」は徳永自身の実体験に基づく話なので内容がより精細で人間的な反面、社会全体の様相は分かりにくかったのですが、「蟹工船」はその点、より広い知見に基づいて社会全体の問題を現すように書かれている印象でした。なお、私が読んだ文庫本は前半が「蟹工船」、後半は「党生活者」という別の物語になっていて「党生活者」も非常に読み応えのある作品でした。

プロレタリア文学は今から約100年も前に書かれたもので、現代からは想像もできない労働者の過酷な生活ぶりや、国際情勢が分かります。労働・雇用分野の専門家を目指す私にとっては大変勉強になり、同時に、現代ではこうした労働問題は完全に解決したのだろうかと考えさせられます。もし、このレビューを面白いと思われた方は

プロレタリア文学「太陽のない街」を読んでみたも読んでみて頂けると大変幸いです。