Tumneyのブログ

20代後半の国際公務員。2020年1月からバンコクで雇用・労働問題に取り組んでいます。

プロレタリア文学「蟹工船」を読んでみた

こんにちは、Tumneyです。雇用や労働の問題に関心があり、現在はタイにある国連機関でアジア太平洋地域の起業家育成や中小企業支援に携わっています。

今回は労働者の文学、プロレタリア文学の作品の中から小林多喜二の「蟹工船」をご紹介します。この作品は1929年(昭和4年)に発表されたもので、オホーツク海カニを獲り缶詰に加工するボロ船「蟹工船」で働く漁夫たちの過酷な労働生活や、監督との闘争劇を描いています。

 

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小林多喜二は秋田の貧しい農家に生まれ、北海道の小樽で銀行員として働きながら労働運動や執筆活動を行っていました。1931年に日本共産党に入党し労働者運動を指揮しますが、1933年に特高警察に逮捕され、29歳という若さで殺害されてしまいます。しかしその作品はその後多くの読者に感銘を与え、小林多喜二は日本のプロレタリア文学の第一人者とされています。私は労働運動の歴史や思想について元々あまり詳しくありませんが、色々と調べた知識も含めつつ、内容と感想をご紹介します。

 

あらすじ

帝国資本主義国の日本と共産主義国ロシアが対立していた1920年代、オホーツク海では、敵国ロシアとの境界線でカニを獲り缶詰に加工する蟹工船が操業していました。そこで働く漁夫の多くは青森、秋田、岩手などの貧しい農村出身の季節労働者で、元は学生、鉱夫、百姓、漁師などです。

彼らが乗船した蟹工船博光丸は今にも沈没しそうなボロ船で、漁夫たちはとても汚い一室で寝食を共にします。シャワーや食事も十分に与えられず、シラミで体中が痒くなったり、脚気で死亡する漁夫も現れます。また、カニが大漁だと労働時間も長引き、過酷な肉体労働で漁夫たちの体はボロボロになっていきます。

ある時、小舟でカニ漁に出ていた数名の漁夫が遭難し、ロシアの領土に漂着します。共産主義国ロシアで彼らは日本の労働者として親切にしてもらい、数日後、元気になって博光丸に帰還します。いままで敵国だと思っていたロシアが労働者に優しい国と知った漁夫たちはそれから徐々に共産主義的な思想をもちはじめ、団結して作業をサボったり、待遇改善を求めて反乱を計画したりします。

しかし、会社から蟹工船の操業指揮を任されている監督の浅川は、体罰や監禁などあらゆる非人道的な手段を使って漁夫たちを働かせます。病気や体罰で死者が出ても、全く気にしない極悪非道の人物で、反乱を計画した漁夫のリーダーたちは結局彼によって反逆者として日本の駆逐艦に突き出されてしまいます。しかしそんな彼も、最終的には資本主義が天罰を下します...

 

小説から見えてきたもの

小説「蟹工船」は当時の社会背景をベースとしたフィクションなので、全てが事実とは言えません。しかし、この小説を読むことで当時の様子を色々と理解する事ができます。私にとっては次の3点がとても印象に残りました。

1. 東北地方の貧困層の現実

あらすじで説明した通り、蟹工船の漁夫のほとんどは東北地方の貧困層でした。彼らは普段は炭鉱で働いたり、小作農として畑を耕したりしていますがカニ漁の季節になると漁夫として蟹工船に乗り込みます。極寒のオホーツク海で行われるカニ漁は死も覚悟の非常に過酷な仕事ですが、それでも彼らが漁夫に志願するのは、元の仕事がそれ以上にきついか、それだけでは生活が立ち行かないという厳しい現実があったからです。

小説の中では、漁夫の一人が夕張炭鉱で鉱山爆発を経験し、仲間を犠牲にして自分だけ生き延びてしまったという話や、連絡船で家族からの手紙を受け取った元百姓の漁夫が、栄養失調で息子が半年も前に死んでいたことを知り悲しむ場面などがあります。

彼らはそれだけ危険な仕事をしても大した賃金をもらえませんが、自分や家族の生活のため、そうした仕事に就かざるを得ません。彼らの命は驚くほど安く売られている、というような描写が小説の随所に見られました。

2. ロシアと敵対する日本

当時の日本(大日本帝国)は、軍隊と資本家が強大な権力を持つ帝国資本主義国家で、共産主義国ロシアとは緊迫した対立関係にありました。小説では、蟹工船博光丸の監督、浅川が「カニ漁は露助(ロシア人)との戦争であり、日本男児としてロシア漁船に絶対に負けてはならない」といって漁夫たちを鼓舞したり、ロシアの領海に侵入してカニの密漁を行ったり、博光丸を護衛するため日本の駆逐艦が近くに停泊する姿が描かれています。

一方、日本国内では労働者や農民層を中心にロシアの共産主義に影響を受け「赤化」する人々が現れ、政府は彼らが全国の工場で引き起こす労働争議を抑え込むことに苦心していました。

3. 道徳やルールを無視した過剰な利益追求

当時の日本は、日本の工業発展に大きく寄与する資本家の権力があまりに強く、彼らの利益追求を規制する仕組みが不十分でした。博光丸の監督、浅川はそんな資本家の悪行を全て体現するような人物で、船長が他船舶の救難信号を受信して救助に向かおうとしても「救助で数日を無駄にすれば収入が大きく減る」といって阻止したり、病気や怪我で働けない漁夫は放置して、死んでも海に投げ捨てるだけだと言い、できるだけ多くのカニを獲ろうとロシアへの領海侵犯も平然と行いました。

どこまでが実際に起きた出来事なのかは分かりませんが、当時、資本家の過剰な利益追求が過酷な長時間労働や3K労働を生んでいたことは間違いないので、こうした世相が刻々と小説の中に現れています。

まとめ

蟹工船」は私が読んだ2作目のプロレタリア作品です。前に読んだ徳永直の「太陽のない街」に比べると言葉遣いが現代風で読みやすかった印象です。また「太陽のない街」は徳永自身の実体験に基づく話なので内容がより精細で人間的な反面、社会全体の様相は分かりにくかったのですが、「蟹工船」はその点、より広い知見に基づいて社会全体の問題を現すように書かれている印象でした。なお、私が読んだ文庫本は前半が「蟹工船」、後半は「党生活者」という別の物語になっていて「党生活者」も非常に読み応えのある作品でした。

プロレタリア文学は今から約100年も前に書かれたもので、現代からは想像もできない労働者の過酷な生活ぶりや、国際情勢が分かります。労働・雇用分野の専門家を目指す私にとっては大変勉強になり、同時に、現代ではこうした労働問題は完全に解決したのだろうかと考えさせられます。もし、このレビューを面白いと思われた方は

プロレタリア文学「太陽のない街」を読んでみたも読んでみて頂けると大変幸いです。

 

ワシントンDC生活の便利情報 - 散髪編

こんにちは、国連目指す系ブロガーのTumney(男)です。私は修士号を取るために2017年から2年間アメリカのワシントンDCで生活していました。渡米前には色々と分からないことがあり不安もあると思います。この記事ではそんな方々の役に立ちそうな便利情報を何回かに渡ってご紹介したいと思っています。今回は散髪です。今後ワシントンDCで駐在される方や留学をお考えの方のご参考になれば幸いです。

 

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海外に長期滞在すると散髪をどうするか迷う方は多いと思います。中には自分で切ったり友人に頼む人もいますが、私はプロに任せるのが一番安心と思い、いつも近所にある20ドルくらいの理髪店にいっていました。ワシントンDCには、日本人向けの美容室もあります。料金は50~70ドルと高価ですが、日本人の美容師さんや日本で経験を積んだ現地の方が切ってくれます。今回は1)現地の理髪店で髪を切るときのコツと、2)私が通った理髪店4店舗と日本人向け美容院をご紹介します。

 

現地の理髪店で髪を切るときのコツ

私はこれまで10店舗くらいの理容店をアメリカで試しました。アメリカの理髪店は日本とはサービスが違い、髭剃りや洗髪をしてくれるようなところは見たことがありません。またアジア人の髪を切ったことがない人もいて、道具もハサミやバリカンではなくカミソリのようなものを使う理容師さんもいます。アジア人の髪質は白人やアフリカ系と全く違うので、理容師さんを間違えると大抵失敗します。そんなアメリカでうまく髪を切ってもらうためのポイントは全部で3つです。

 

コツ1 家のそばの理髪店を選ぶ

アメリカの理髪店は基本、洗髪をしてくれないので散髪後は背中や首の周りが切った髪でチクチクします。そこで私はできるだけ家から徒歩圏内の理髪店に行き、終わったらすぐ帰宅してシャワーを浴びるようにしていました。また、細かい髪が服に付くので、すぐ洗えるTシャツなどを着ていくのもオススメです。

 

コツ2 理容師さんはアジア系かヒスパニック系で女性の方が上手

決して人種差別をするつもりはないですし、人にもよりますが、髪質は人種によってかなり違い、理容師さんは自分と同じ人種、同じ髪質のお客さんを切ることが多いです。その意味でアジア系、ヒスパニック系の人は日本人のような太く直毛で毛量の多い髪を切るのが上手な場合が多いです。また経験上、男性より女性の方が仕事が丁寧できちんと整えてくれます。

 

コツ3 いい理容師さんを見つけたら電話番号を聞く

一度満足のいく理容師さんを見つけたら電話番号を聞いて、次から同じ人に同じ髪型で切ってもらうようにします。アメリカではよくある事なので、名刺を渡されることもあります。電話番号があれば次から事前に連絡して出勤しているか確認できますし、名前や髪型を覚えてもらえるので毎回髪型の注文をしなくてよくなります。

 

 

ワシントンDCの理髪店紹介

1. Street Kutz

住所 6451 America Blvd Unit 103, Hyattsville, MD 20782

価格 20ドル + チップ(2-3ドル)

アクセス Green line の Prince George's Plaza駅から徒歩5分

HP https://www.yelp.com/biz/street-kutz-hyattsville-2

オススメ度 ★★★

私が通った当時はヒスパニックのMariaさんという女性理容師さんがいて、いつもその方に同じ髪型でお願いしていました。非常に手際がよく、バリカンとハサミを使って15分ほどで仕上げてくれました。他の理容師さんは皆アフリカ系でアジア人の髪を切った経験はなさそうだったのでちょっと不安です。

 

2. Supercuts

住所 4561 Wisconsin Ave NW, Washington, DC 20016

価格 たしか20ドル+チップ(2-3ドル)

アクセス Red lineのTenleytown-AU駅から徒歩5分

HP Supercuts Hair Salon

オススメ度 ★★★★

チェーン店で、ここはアフリカ系の女性理容師さんが多い店舗です。一般的にアフリカ系の方はバリカンしか使えないのですが、ここの理容師さんはハサミ、すきバサミ、バリカン全て上手でした。American Universityのそばなのでアジア系の学生客も多いのだと思います。

 

3. TL Barbershop

住所 1800 Wilson Blvd UNIT 130, Arlington, VA 22201

価格 18ドル + チップ(2-3ドル)

アクセス Orange/Silver lineのRosslyn駅から徒歩10分

HP http://www.tlbarbershop.com/

オススメ度 ★★★★

 ベトナム系の女性理容師さんが3-4名いて、どの方も上手でした。切り方は日本と同じようにバリカン、ハサミ、すきバサミを使います。ただし、すごく丁寧なので時間がかかり、40分くらいは余裕をみて来た方がいいです。

 

4. Instyles Barber Shop

住所 2200 Clarendon Blvd, Arlington, VA 22201

価格 24ドル + チップ(3-4ドル)

アクセス Orange/Silver lineのCourthouse駅から徒歩5分

HP http://instylesbarbershop.com/

オススメ度

トルコ系の男性理容師さんが数名います。初めて行った際、心配なので色々と細かく注文してみましたが、「おれがいつもやってるようにやってやるから心配するな」的な感じであまり聞き入れてもらえず、結局そのトルコ人と同じ髪形になりました。それ以来、一度も利用しませんでした。

 

5. Kamiya-A (日本人向け)

住所 2006 17th St NW, Washington, DC 20009

価格 75ドル~

アクセス Red lineのDupont Circle駅から徒歩15分

HP https://www.facebook.com/pages/category/Hair-Salon/Kamiya-A-Akiko-yoshihara-290976271090348/

備考 要予約(メールか電話)・日本語OK

 

6. Hair Studio Orie (日本人向け)

住所 2676K Avenir Place Loft 26, Vienna, VA 22180

価格 74ドル~

アクセス Orange lineのDunn Loring-Merrifield駅から徒歩5分

HP https://salonlofts.com/orie_hair_studio

備考 予約可(HPかメール)・日本語OK

 

7. Hair Design Zone (日本人向け)

住所 141 Gibbs St, Rockville, MD 20850

価格 55ドル~

アクセス Red lineのRockville駅から徒歩5分

HP http://www.myhdz.com/

備考 予約可(電話かメール)・日本語OK

 

8. Ozuki Salon (日本人向け)

住所 1002 30th St NW, Washington, DC 20007

価格 81ドル~

アクセス Orange/Blue/Silver lineのFoggy-Bottom GWU駅から徒歩15分

HP http://www.ozukisalon.com/

備考 予約可(HP、メール、電話)

 

青ピンは私が通った地元の理髪店

赤ピンはネットで調べた日本人向け美容院

日本人向け美容院はこちらのサイトを参考にさせて頂きました。

ワシントンD.C.在住日本人がおすすめするワシントンD.C.の美容院・理容院情報 | ロコタビ

 

 

 

 

 

ワシントンDC生活の便利情報 - お金の管理編

こんにちは、国連目指す系ブロガーのTumneyです。私は修士号を取るために2017年から2年間アメリカのワシントンDCで生活していました。渡米前には色々と分からないことがあり不安もあると思います。この記事ではそんな方々の役に立ちそうな便利情報を何回かに渡ってご紹介したいと思っています。今回はお金の管理です。今後ワシントンDCで駐在される方や留学をお考えの方のご参考になれば幸いです。

 

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留学には多額のお金がかかり、それをどう管理するかは非常に重要です。1学期に1度100万円以上の学費を一括で支払うほか、日頃の買い物や食事でポロポロとかかる生活費もあり、どちらもスムーズに支払える管理体制にしなければなりません。私の友人などの話を聞くと、お金の管理方法は次の3つに大きく分けられます。

 

  1. 米国で口座開設し学費も生活費もそこから支払
  2. 学費は日本から海外送金、生活費はクレカ
  3. 学費は日本から海外送金、生活費は海外ATM

 

私のオススメは1.ですが、それぞれ特徴があります。今回は各管理方法のメリット、デメリットについてまとめてみたいと思います。

 

方法1. 米国で口座開設し学費も生活費もそこから支払

渡米時は必要最低限の現金だけ持っていき、現地の銀行で口座開設して日本の銀行口座から留学資金を送金し、そこから学費も生活費も支払う方法です。アメリカの口座開設はとても簡単で、必要書類はパスポート、在学を証明する書類、住所が分かる書類、デポジット($20程度)のみです。私はPNC Bankを使っていました。ワシントンD.C.市内に支店やATMが多い他、学生向けの優遇もあると窓口で言われてそこにしました。ただ、全米に支店があるという意味ではBank of AmericaやWells Fargo、Chase、Capital One Bankの方がいいかもしれません。手数料などは正直どこもほぼ同じだと思います。

メリット1. 米国のサービスを普通に利用できる

アメリカではクレジットカードやデビットカードがないと利用できないサービスが色々あり、日本のクレジットカードが使えない事もよくあります。特にUber、Venmo、AmazonNetflix、携帯電話、路上のシェア自転車などは大変便利で、これらを使いこなすには現地で口座開設をし、デビットカードを入手するのが一番です。

メリット2. 為替変動を気にしなくて良い

ドルと円の価値は常に変動しているので、クレジットカードや海外ATMの引出しサービスを使って、ちょとこちょこと為替両替をしていると、その度に為替損益が気になります。アメリカに口座を作れば、為替が良い時に日本からまとめて円をドルに替えればいいので、為替変動をあまり気にしなくて良くなります。

デメリット 日本側の送金手続きが面倒

日本の銀行は外国送金のチェックが厳しく、手続きが煩雑です。私が利用していた三井住友銀行では、まず日本にいる間に銀行窓口で外国送金サービス(グローバルサービス)の申込手続きが必要でした。支店の銀行員さんでこの手続きを理解している方は少なく、私の場合は申込完了まで1時間以上かかりました。また、この時点でアメリカの口座情報や住所が未確定の場合、アメリカに着いてから書類を「郵送」するようにと言われます。(なぜメールではダメなのか本当に謎です...)

アメリカに着いて書類を郵送するとようやくグローバルサービスが使えるようになり、登録した米国口座にのみ送金できるようになります。三菱東京UFJなども同じような煩雑な手続きが必要なようです。

 

方法2. 学費は日本から海外送金、生活費はクレカ

学費は日本の銀行口座から大学へ直接振り込み、日常の買い物では日本のクレジットカードを使う方法です。アメリカは完全なカード社会なので現金ゼロでも生活には全く困りません。ですが、この場合にもいくつかメリットとデメリットがあります。

メリット1. 米国で特別な手続きが不要

この場合、アメリカに着いてから大量の日本円をドルに両替したり、銀行口座を開いたりする必要はなく、日本で使っていた支払方法をそのままアメリカで使うのでストレスがありません。 

メリット2. ポイントやマイルが貯まる

日本のクレジットカードはポイントやマイルがつくものが多いです。ポイントは海外では使えませんが、マイルを貯めれば旅行や帰国の飛行機に使えます。 

デメリット1. 為替変動が気になる

学費の振り込みは毎回100万円以上なので為替が1円ずれると1万円変動します。また、クレジットカードの引落し金額も為替レートで変動するので、今日我慢して明日買った方が安かった等とタイミングに気にして悩むことがよくあります。

デメリット2. クレカの為替手数料

これは友人に聞いた話ですが、クレジットカード会社によっては毎回の使用金額に為替手数料が上乗せされる場合があり、チリツモで大きな損になる事もあるそうです。

デメリット3. 日本のクレカが使えない事も

アメリカでは日本のクレジットカードが使えない事もよくあります。先述のように、アメリカはカード社会なのでカードが使えなくなると非常に困ります。

 

方法3. 学費は日本から海外送金、生活費は海外ATM

日本の銀行の中には海外のATMで現金を引き出せるサービスを提供する銀行があります。私の留学した2017年当時はSMBC信託銀行プレスティアが人気でした。たしか海外ATM手数料が無料で、日本の口座に残高があれば、アメリカにいても日本と同じ感覚でATMからドルを引き出せます。 

メリット1. 米国で特別な手続きが不要

クレジットカードと同じですが、日本と同じように現金を引き出せるので、大金の両替や口座開設のストレスや不安はありません。

メリット2. 安全に現金ドルを引き出せる

日本の生活に慣れていると現金を引き出す術がないのは不安です。しかし大量の日本円を持参してアメリカで両替し、タンス預金するのも怖いです。そんな方にとってこの海外ATMサービスは便利かと思います。ただ、私は財布に一応$20くらいの現金を入れていましたが使ったことはほぼありませんでした。

デメリット1. 為替変動が気になる

クレジットカードと同じで、ATMカードはドルを引き出すたびに為替損益が発生し、気になってしまいます。

デメリット2. ATMカードは使えない事が多い

ATMで引き出しはできるかもしれませんが、友人の話を聞いているとUberAmazonなどのサービスには使えない事が多いようです。

 

まとめ

以上が私や知人の経験を参考にしたアメリカのお金の管理方法です。私の知る限り、日本人の多くは始めの数ヶ月は右も左もよくわからないのでクレジットカードや海外ATMカードでなんとかし、アメリカ生活に慣れてきたら現地で口座開設する人が多い気がします。これからアメリカに行かれる方のご参考になれば大変幸いです。

 

 

シベリア問題とは?100年前の日本の政治と労働者

こんにちは、Tumneyです。雇用や労働問題に関心があり、現在はタイにある国連機関でアジア太平洋地域の起業家育成と中小企業支援に携わっています。

 

この記事は、プロレタリア文学「太陽のない街」を読んでみたの続編で、この小説に出てくる「シベリア問題」思想善導について解説します。

 

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シベリア出兵を伝える日本の画報 出典:Wikipedia

シベリア問題

1920年代の日本(大日本帝国)は軍隊とお金が国を動かす、帝国主義、資本主義の国でした。殖産興業・富国強兵を推し進めて西欧に一生懸命追いつこうとした時代です。

 シベリア問題とは、1918年から4年間続いたシベリア出兵を指します。当時ロシア革命社会主義国となったロシアを倒そうと、資本主義諸国(日英米仏伊加中)がシベリアに出兵します。日本国内では、政治的権力を持つ資本家や大地主が出兵に賛成する一方、社会主義を理想とする知識人や労働者、小作農はこれを「シベリア問題」と呼び出兵に反対しました。

 

思想善導

小説の中で、当時の与党であり内閣を組織していた立憲政友会はシベリア出兵の反対世論を鎮めると同時に、その原因である国内の労働運動の取り締まりを強化するため、あるスローガンを打ち出します。それが「思想善導」です。これは文字通り「国民の思想を良い方向へ導こう」という政府の思想教育方針で、社会主義思想を悪として排除しようという意思が込められていました。これにより学校教育が見直されたり、警察隊が強化されたりし、大同印刷会社の争議団も窮地に追いやられていきます。

 

まとめ

100年前の日本は、平成生まれの私には想像もつかない別世界でした。小説「太陽のない街」はこれ以外にも当時の労働運動の実態を作者の経験に基づいてリアルに描いています。もし宜しければプロレタリア文学「太陽のない街」を読んでみたに総論をまとめていますので読んで頂けたら幸いです。

 

 

 

ワシントンDC生活の便利情報 - 日用品編


こんにちは、国連目指す系ブロガーのTumneyです。私は修士号を取るために2017年から2年間アメリカのワシントンDCで生活していました。渡米前には色々と分からないことがあり不安もあると思います。この記事ではそんな方々の役に立ちそうな便利情報を何回かに渡ってご紹介したいと思っています。今回は日用品編です。今後ワシントンDCで駐在される方や留学をお考えの方のご参考になれば幸いです。

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アメリカで自分の住む家に入居してまず最初にすることは買い物だと思います。食料品やトイレットペーパー、シャンプー、ごみ箱、掃除機、ドライヤーなど生活に必要なものを買い揃えなければなりません。今回は私がよく利用したワシントンDCの大手スーパー、日本食スーパー、コンビニをご紹介します。

 

大手スーパー

ワシントンDCには大手スーパーが6つあります。それぞれの特徴を簡単にご紹介します。

Safeway

ワシントンDCで最もよく見かけるスーパーで、地下鉄の2駅に1つくらいはある感覚です。日本でいえば西友のようなもので、生鮮食品から家電まで様々なものが安く揃います。

Target

メイン商品は生活家電や洋服、食器、日用品ですが、生鮮食品も売っています。価格はSafewayと同じくらいでかなり安めです。日本でいえばイトーヨーカドーやイオンでしょうか。

Whole Foods

ワシントンDCの中心部に多くあります。値段が高く高品質で、商品はほぼ全て自社ブランド製品です。東京でいえば成城石井でしょうか。生鮮食品が中心でシャンプーなどの日用品も買えますが、掃除機やドライヤーは売っていないと思います。

Trader Joe's

Whole Foodsに似て商品はほぼ全て自社ブランドですが、価格はWhole Foodsより安めで、オーガニックの野菜が安く買えるのが良いところです。またTrader Joe'sのショッピングバッグ($1)はアメリカ各州のご当地デザインとなっており、お土産として大変人気です。

Giant

比較的郊外や駅から離れた場所に多いので利用する人は少ないかもしれませんが、店舗数は非常に多いです。品揃えや価格帯はSafewayに似ていて、安い商品を幅広く扱っています。

 Walmart

アメリカのスーパーといばWalmartのイメージですが、ワシントンDCには数店舗しかありません。治安の悪いエリアにあるので私はほとんど行きませんでした。

 

 

日本食スーパー

海外生活で日本食が恋しくなることは多々あると思います。ワシントンDCは全米の中では日本の食品が手に入りやすい方ですが、価格は日本の2~3倍ほどします。日本食を買える場所は以下の通りです。

Hana Market

ワシントンDC内で車がなくても行ける唯一の日本食専門スーパーです。地下鉄Red LineのDupont Circle駅から徒歩15分、もしくはYellow & Green LineのU street/African-American Civil War Memorial/Cardozo駅から徒歩15分くらいで、小さなお店ですが日本の即席ラーメンやカレールー、調味料、和菓子、和食器、整髪料、冷凍の刺身など色々買えます。また店内に掲示板があり、日本人コミュニティのイベントやアルバイト求人、ボランティア募集などもここで知ることができます。

H Mart

韓国系の大型スーパーで日本食の品揃えはHana Marketよりもいいですが価格は同じくらいです。車がないと行けないので私は行ったことがないですが、日本人の友人はよく使っていました。

BestWorld Supermarket

地下鉄Yellow & Green LineのColumbia Heights駅から徒歩10分のメキシコ系(?)スーパーです。韓国系食品と並んで日本の即席ラーメンやうどん、そば、さつまいも、きのこ類、冷凍のタコやイカなどが売っています。価格は他店より安めですが周辺の治安があまりよくないので夜は行かない方がいいと思います。

SafewayやTarget

すでに紹介した大型スーパーですが、日本食コーナーがある店舗も多く、醤油、みりん、豆腐、カレールー、ポッキーなどのちょっとした菓子くらいは買うことができます。醤油や豆腐は現地生産していて他の日本食スーパーの輸入物より安く買えると思います。

Amazon

スーパーではないですが、ほとんどのものはアマゾンで買うことができます。私はお米はいつもアマゾンで買っていました。Nishikiというカリフォルニア産コシヒカリで15lbs(6.8kg)で$20でした。味や食感は日本のコシヒカリと変わらず、美味しかったです。一度だけ袋が破れて届きましたが、アマゾンにメールをしたらすぐに新品と交換してくれました。

 

コンビニ

 アメリカでは日本のようなコンビニはあまりなく、ドラッグストアがコンビニの代わりになっています。ワシントンDCでは、次のようなお店があります。

CVS

ワシントンDCで一番よく見かけるドラッグストアです。街を歩いていると10分に1店舗くらいは見つかります。パンや飲み物、ティッシュやシャンプーなど基本的なものはここで買うことができますが価格は大手スーパーより高めです。ドラッグストアなので日焼け止めや、虫よけスプレー、花粉症の薬なども買えます。また証明写真の撮影や写真の現像もできます。

Seven Eleven

日本にもあるコンビニですが、アメリカでは治安の悪いイメージがありあまり行くことをオススメしません。ホットドッグや炭酸飲料がとても安いです。

 

まとめ

以上が私が日用品の買い物でよく利用したお店です。アメリカではアマゾンがものすごく便利で、家電などはアマゾンの方がいいかもしれませんが、すぐに使いたいものや生鮮食品はスーパーで買う事になります。私の場合、一人暮らしで日用品の出費は週に1度$20-40くらいでした。かなり自炊して節約した方なので一般的には週$80くらい、一か月で$350くらいはかかると思います。

 

プロレタリア文学「太陽のない街」を読んでみた

こんにちは、Tumneyです。雇用や労働の問題に関心があり、現在はタイにある国連機関でアジア太平洋地域の起業家育成や中小企業支援に携わっています。

 

今回は労働者の文学、プロレタリア文学の作品から徳永直(とくながすなお)の「太陽のない街」をご紹介します。この作品は1929年(昭和4年)に発表されたもので、当時全国で起こきていた労働運動の実態が作者の実体験に基づいて書かれています。私は労働運動の歴史や思想について元々あまり知りませんでしたが、色々と調べた知識も含めつつ、内容と感想をご紹介します。

 

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あらすじ

昭和初期、東京市小石川区(現在の文京区西部)で、大同印刷会社の労働者3000人が争議団を結成し、大資本家である大川社長を相手に労働条件の改善を求めてストライキや暴動を行います。タイトル「太陽のない街」はその争議団が暮らす千川ドブに立つ長屋の貧困集落を指しており、そこで暮らす争議団員たちの苦しい生活ぶりや、それでもめげずに闘う強い意志、闘いの中で生まれる彼らの葛藤などを描いています。

 

その暮らしは現代で言えばアフリカかどこかのスラムのような生活で、皆、粗末な長屋で集団生活をし、服はボロボロ、お金も食糧も底をつき、栄養が不足して脚気(かっけ)になったり、出産の体力がなくて母子ともに亡くなってしまう団員も現れます。また会社は争議団の中にスパイを潜り込ませたり、暴力団を送り込んだり、宗教団体に働きかけたりして争議団を潰そうとします。それでも団員たちは過酷な労働条件の改善を求めて闘います。

 

当時の工場労働者は一日10時間労働が基本で、それだけたくさん働いても毎日なんとか食べて、銭湯に行くくらいの安い賃金しかもらえませんでした。労働者はどれだけ働いても一生豊かな暮らしはできず、一方の資本家はどんどん富を蓄えて次の世代に富を引き継ぐという時代です。政府も国の成長を支える資本家たちの側につき、労働者を守る政策や法律は全く不十分でした。こうした背景の中、争議団は集会を開き、大同印刷会社と闘争を続けます....

 

新しい発見

平成生まれの私にとって、この本の内容は知らなかったことだらけでした。小学校から大学まで日本で教育を受け、大正デモクラシー大日本帝国という言葉は聞き覚えがありましたが、この本を読むと「日本にこんな時代があったのか!」と驚かされました。ここでは私が新しく知った言葉やポイントを7つご紹介します。

 

1. 少年工(徒弟)

工場労働者の間には徒弟制度と呼ばれる職工と徒弟の関係があります。徒弟の多くは10代の少年工で本来なら小学校や中学校に通う歳です。彼らの賃金は、当然ながら闘争を起こしている職工たちよりもさらに低いです。小説の中では、争議団の4名がこうした少年工たち300人を工場労働から解放しようと、彼らを荷台に乗せたトラックを襲撃するシーンや、少年工の父母たちが会社に対し、子どもの安全確保を求める嘆願書を出すという場面があります。現代の日本では、15歳未満の就労は法律で禁止されている上、多くの人が大学や専門学校まで進学してサービス業や事務職に就くので「少年工」や「徒弟」という言葉はあまり聞き慣れません。(製造業などでは今もそうした制度があるのでしょうか...)

 

ただし世界的にみると、児童労働は現在も大きな社会問題です。国際労働機関(ILO)によれば、2016年時点で1億5200万人の児童が家庭の貧困や教育機会の欠如を理由に労働を余儀なくされているとしています。

 

2. 無産階級 vs 資本家

小説の中で、争議団の労働者たちはしばしば自分たちを「無産階級」と呼びます。働いても働いても貯金をしたり車や家といった資産を購入することが出来ない階級という意味で、資本家に対峙する言葉として使っていました。彼らがどんなに一生懸命に働いても一生3K労働から抜け出せないと思うと、闘争に踏み切る気持ちも少し理解できます。

 

現代ではサービス業や事務職が増え、ブルーカラーの仕事は減り、待遇も改善したので状況がだいぶ違いますが、今も似たような考え方が日本社会にはあると思います。つまり、人に雇われて働く場合、どんなに頑張っても会社が定めるお給料以上はもらえず、本当にお金が欲しかったら自分で事業を起こしたり投資をしなければならなという考え方です。これはフランスの経済学者トマ・ピケティや「金持ち父さん 貧乏父さん」の著者ロバートキヨサキ、YouTuberのヒカルなどもしています。資本主義経済というのはそういう仕組みで、それを変えるには選挙で闘わなければなりません。しかし当時の日本はまだ選挙制度が未熟で無産階級の声は政治に反映されず、彼らは暴力で闘うしかなかったのだと感じました。

 

3. 労働組合運動

小説の争議団は、全日本労働組合評議会や全国の労働者団体から支持を得て大同印刷会社との闘争に臨みます。当時、世界は第一次世界大戦ロシア革命の直後で、日本では労働組合が全国で作られ活動を活発化させた時期でした。1920年に日本では初めてのメーデーが行われ、その後1936年までメーデーは盛んに行われます。小説の中には労働組合の活動内容はあまり出てきませんが、こうした運動に後押しされて多くの会社で労働争議が行われていたことがよくわかりました。

 

4.消費組合運動

この当時、労働組合運動と並行して起きていたのが消費組合運動です。消費組合は消費者たちの団体で、食料や日用品を生産者や問屋からまとめて廉価で仕入れ、組合員に安く供給する活動を行っていました。日本では賀川豊彦という神戸の社会実業家がこの消費組合を広め、現在は生活協同組合(生協・コープ)となっています。小説の中では、消費組合のトラックが「太陽のない街」で貧困に苦しむ争議団員たちに食料配給を行うシーンがあり、消費組合が争議団にとって数少ない支援団体であったことがみてとれます。

 

5. 右翼と左翼

これは非常に複雑な話で、正直、私もまだ右翼と左翼が何なのか厳密に理解していないので詳しい説明はできませんが、労働運動は左翼と関係が深いことが小説を読んでわかりました。また、右翼と左翼は対立関係にあるのではなく、それぞれが政府と対立していたという関係性も理解できました。

 

6. シベリア問題

長くなるので、こちらの記事シベリア問題とは?で詳しくご紹介します。端的に言えば、1918年から4年間、日本を含む資本主義諸国は社会主義国ロシアを倒すためシベリア出兵を行います。小説の中では、シベリア出兵に併せて日本政府が国内の労働運動や社会主義運動の弾圧に乗り出す姿が描かれています。この政府の方針により警察隊の機能などが強化され、大同印刷会社の争議団も窮地に追いやられていきます。

 

7. 脚気(かっけ)

小説の後半では、食糧不足で脚気になる争議団員が現れます。脚気ビタミンB1が不足して起きる病気で、発症すると心不全や神経障害が起き、死に至ります。ビタミンB1は胚芽米、豚肉、大豆などに多く含まれ、日本人は江戸時代まで胚芽米や雑穀を食べていたので、それまでは脚気はあまり起きませんでした。しかし明治以降、精米技術が向上し白米が主食になるとビタミンB1を多く含むもみやヌカを食べなくなり日本では脚気が広まりました。1950年頃まではっきりとした発症原因が分からず、日本では毎年数万人の死者を出していました。

 

現在、日本ではほとんど起きない病気ですがインスタント食品など偏食をしていると起こりうるそうです。海外ではBeriberiと呼ばれ、アフリカなどの最貧国ではいまだに発生しています。私も現在タイ王国で一人暮らしをしていて偏食気味ですが、バランスのいい食事に気をつけなければと思いました。

 

 

5月1日メーデー(May Day, Labour Day)とは?

こんにちは、国連目指す系ブロガーのTumneyです。私は現在、タイにある国連機関でアジア太平洋地域の雇用・労働問題に携わっています。本日、5月1日はメーデー(労働者の日)ということで今回はその意義、歴史、地域による違いについて調べたことをまとめようと思います。

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メーデーとは?

5月1日のメーデー1886年アメリカから世界に広まった「労働者をたたえる日」です。Labor Day、May Day、Workers' Dayなど様々な呼び方がありますが、国際的にはLabour Dayが最も一般的な呼称で、多くの国々がこの日を祝日とし、労働者をたたえるイベントを行っています。日本では1920年5月2日に第一回メーデーが開かれ、1950年代には労働運動が盛り上がりをみせましたが、現在ではあまり特別な日とはされず、労働組合連合や日本共産党が集会を開く程度にとどまっています。なお、今年(2020年)は新型コロナウイルスの影響により労働組合連合は集会は行わず動画配信としています。

 

また、航空機や船舶の救難信号も「メーデー」と呼ばれますが、これは労働者の日とは全くの別物です。こちらはフランス語の「助けに来て」を意味する venez m'aider が語源だそうです。

 

メーデーの歴史

先述の通り、5月1日のメーデー1886年アメリカで始まりました。18世紀から19世紀にかけて産業革命が進むと、資本家が工場をつくり、機械を導入し、労働者を雇用して働かせる形態、いわゆる資本主義経済が生まれました。資本家はとにかく商品をたくさん作って売りたいので、機械や労働者をたくさん稼働させようとしました。これにより労働者は一日10時間から16時間ともいわれる長時間労働が常態化していきました。この長時間労働に反対したアメリカの労働組合連合は1886年5月1日にシカゴで「8時間労働」を求めて大規模なストライキを決行します。これに乗じて世界各国で毎年5月1日にストライキや集会などの労働運動が起こるようになり、メーデーは世界に広まっていきました。

 

日本では1920年5月2日に第一回メーデーが東京・上野で開催され、戦前に合計16回メーデーが行われますが、1936年の二・二六事件による政府の戒厳令により開催が禁止になります。その後、終戦を迎えて1946年から活動が再開するとメーデーは大規模な労働運動の日となり、全国で100万人もの人が参加しました。その後メーデーの活動は過激化し、1952年には血のメーデー事件という騒乱が発生。デモ隊と警察隊が皇居外苑で衝突し、死者1名と負傷者約1000名を出す事件になりました。しかし1960年代からは池田内閣の所得倍増計画や高度経済成長により労働者の生活水準が向上し、メーデーは縮小、現在では5月1日を特別な日と考える日本人は少なくなりました。

 

地域により異なる「労働者の日」

これまで5月1日を国際的に認められた「労働者の日」として紹介しましたが、5月1日以外に「労働者の日」を定めている国もあります。

 

アメリカ・カナダ

この2か国は9月の第一月曜日をLabour Dayとし、祝日としています。アメリ労働省の公表によると1882年にニューヨークのCentral Labor Unionがこの日を休日としたことがきっかけで、カナダでは1894年ビクトリア朝時代の労働者による行進が起源とされています。そもそも5月1日をメーデーとして広めたアメリカが、労働者の日を9月にしているという点には何か政治的な意図があるのではと考えてしまいます。

ちなみに「レイバーデイ」のスペルには若干の違いがあり、アメリカではLabor Day、カナダではLabour Dayと書きます。

日本

日本では5月1日は特別な日ではありませんが、11月23日を勤労感謝の日としています。これは厳密にはメーデーとの関係性は薄いですが意味合いが似ています。勤労感謝の日はもともと新嘗祭(にいなめさい)という秋の収穫を神々に感謝する皇室行事が行われた日で、戦後に天皇の神格化を薄める狙いや、農作物の収穫のみならずより広い生産活動に感謝する意味合いで「勤労感謝の日」と名付けられました。

また、日本は毎年2-3月頃に各企業の労働組合が賃金のベースアップや労働条件の改善を求める春闘が始まり、実質的な労使交渉はこの時期に行われるのが一般的です。

オーストラリア

オーストラリアは3月にLabour Dayがあります。州毎に定められた祝日のためタスマニアではEight Hours Day、北部州ではMay Dayと呼ばれ、日にちも少しずつ違います。元々は5月1日でしたが、第二次大戦後に各州が3月に祝日を移したそうです。

ニュージーランド

ニュージーランドのLabour Dayは10月の第四月曜日と定められています。1840年から毎年10月に植民地の労働者たちが8時間労働を求めて運動を行ったことがきっかけで1890年に政府がこの日をEight-Hour Demonstration Dayと制定しました。現在はこれがLabour Dayに改称されています。