Tumneyのブログ

20代後半の国際公務員。2020年1月からバンコクで雇用・労働問題に取り組んでいます。

プロレタリア文学「太陽のない街」を読んでみた

こんにちは、Tumneyです。雇用や労働の問題に関心があり、現在はタイにある国連機関でアジア太平洋地域の起業家育成や中小企業支援に携わっています。

 

今回は労働者の文学、プロレタリア文学の作品から徳永直(とくながすなお)の「太陽のない街」をご紹介します。この作品は1929年(昭和4年)に発表されたもので、当時全国で起こきていた労働運動の実態が作者の実体験に基づいて書かれています。私は労働運動の歴史や思想について元々あまり知りませんでしたが、色々と調べた知識も含めつつ、内容と感想をご紹介します。

 

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あらすじ

昭和初期、東京市小石川区(現在の文京区西部)で、大同印刷会社の労働者3000人が争議団を結成し、大資本家である大川社長を相手に労働条件の改善を求めてストライキや暴動を行います。タイトル「太陽のない街」はその争議団が暮らす千川ドブに立つ長屋の貧困集落を指しており、そこで暮らす争議団員たちの苦しい生活ぶりや、それでもめげずに闘う強い意志、闘いの中で生まれる彼らの葛藤などを描いています。

 

その暮らしは現代で言えばアフリカかどこかのスラムのような生活で、皆、粗末な長屋で集団生活をし、服はボロボロ、お金も食糧も底をつき、栄養が不足して脚気(かっけ)になったり、出産の体力がなくて母子ともに亡くなってしまう団員も現れます。また会社は争議団の中にスパイを潜り込ませたり、暴力団を送り込んだり、宗教団体に働きかけたりして争議団を潰そうとします。それでも団員たちは過酷な労働条件の改善を求めて闘います。

 

当時の工場労働者は一日10時間労働が基本で、それだけたくさん働いても毎日なんとか食べて、銭湯に行くくらいの安い賃金しかもらえませんでした。労働者はどれだけ働いても一生豊かな暮らしはできず、一方の資本家はどんどん富を蓄えて次の世代に富を引き継ぐという時代です。政府も国の成長を支える資本家たちの側につき、労働者を守る政策や法律は全く不十分でした。こうした背景の中、争議団は集会を開き、大同印刷会社と闘争を続けます....

 

新しい発見

平成生まれの私にとって、この本の内容は知らなかったことだらけでした。小学校から大学まで日本で教育を受け、大正デモクラシー大日本帝国という言葉は聞き覚えがありましたが、この本を読むと「日本にこんな時代があったのか!」と驚かされました。ここでは私が新しく知った言葉やポイントを7つご紹介します。

 

1. 少年工(徒弟)

工場労働者の間には徒弟制度と呼ばれる職工と徒弟の関係があります。徒弟の多くは10代の少年工で本来なら小学校や中学校に通う歳です。彼らの賃金は、当然ながら闘争を起こしている職工たちよりもさらに低いです。小説の中では、争議団の4名がこうした少年工たち300人を工場労働から解放しようと、彼らを荷台に乗せたトラックを襲撃するシーンや、少年工の父母たちが会社に対し、子どもの安全確保を求める嘆願書を出すという場面があります。現代の日本では、15歳未満の就労は法律で禁止されている上、多くの人が大学や専門学校まで進学してサービス業や事務職に就くので「少年工」や「徒弟」という言葉はあまり聞き慣れません。(製造業などでは今もそうした制度があるのでしょうか...)

 

ただし世界的にみると、児童労働は現在も大きな社会問題です。国際労働機関(ILO)によれば、2016年時点で1億5200万人の児童が家庭の貧困や教育機会の欠如を理由に労働を余儀なくされているとしています。

 

2. 無産階級 vs 資本家

小説の中で、争議団の労働者たちはしばしば自分たちを「無産階級」と呼びます。働いても働いても貯金をしたり車や家といった資産を購入することが出来ない階級という意味で、資本家に対峙する言葉として使っていました。彼らがどんなに一生懸命に働いても一生3K労働から抜け出せないと思うと、闘争に踏み切る気持ちも少し理解できます。

 

現代ではサービス業や事務職が増え、ブルーカラーの仕事は減り、待遇も改善したので状況がだいぶ違いますが、今も似たような考え方が日本社会にはあると思います。つまり、人に雇われて働く場合、どんなに頑張っても会社が定めるお給料以上はもらえず、本当にお金が欲しかったら自分で事業を起こしたり投資をしなければならなという考え方です。これはフランスの経済学者トマ・ピケティや「金持ち父さん 貧乏父さん」の著者ロバートキヨサキ、YouTuberのヒカルなどもしています。資本主義経済というのはそういう仕組みで、それを変えるには選挙で闘わなければなりません。しかし当時の日本はまだ選挙制度が未熟で無産階級の声は政治に反映されず、彼らは暴力で闘うしかなかったのだと感じました。

 

3. 労働組合運動

小説の争議団は、全日本労働組合評議会や全国の労働者団体から支持を得て大同印刷会社との闘争に臨みます。当時、世界は第一次世界大戦ロシア革命の直後で、日本では労働組合が全国で作られ活動を活発化させた時期でした。1920年に日本では初めてのメーデーが行われ、その後1936年までメーデーは盛んに行われます。小説の中には労働組合の活動内容はあまり出てきませんが、こうした運動に後押しされて多くの会社で労働争議が行われていたことがよくわかりました。

 

4.消費組合運動

この当時、労働組合運動と並行して起きていたのが消費組合運動です。消費組合は消費者たちの団体で、食料や日用品を生産者や問屋からまとめて廉価で仕入れ、組合員に安く供給する活動を行っていました。日本では賀川豊彦という神戸の社会実業家がこの消費組合を広め、現在は生活協同組合(生協・コープ)となっています。小説の中では、消費組合のトラックが「太陽のない街」で貧困に苦しむ争議団員たちに食料配給を行うシーンがあり、消費組合が争議団にとって数少ない支援団体であったことがみてとれます。

 

5. 右翼と左翼

これは非常に複雑な話で、正直、私もまだ右翼と左翼が何なのか厳密に理解していないので詳しい説明はできませんが、労働運動は左翼と関係が深いことが小説を読んでわかりました。また、右翼と左翼は対立関係にあるのではなく、それぞれが政府と対立していたという関係性も理解できました。

 

6. シベリア問題

長くなるので、こちらの記事シベリア問題とは?で詳しくご紹介します。端的に言えば、1918年から4年間、日本を含む資本主義諸国は社会主義国ロシアを倒すためシベリア出兵を行います。小説の中では、シベリア出兵に併せて日本政府が国内の労働運動や社会主義運動の弾圧に乗り出す姿が描かれています。この政府の方針により警察隊の機能などが強化され、大同印刷会社の争議団も窮地に追いやられていきます。

 

7. 脚気(かっけ)

小説の後半では、食糧不足で脚気になる争議団員が現れます。脚気ビタミンB1が不足して起きる病気で、発症すると心不全や神経障害が起き、死に至ります。ビタミンB1は胚芽米、豚肉、大豆などに多く含まれ、日本人は江戸時代まで胚芽米や雑穀を食べていたので、それまでは脚気はあまり起きませんでした。しかし明治以降、精米技術が向上し白米が主食になるとビタミンB1を多く含むもみやヌカを食べなくなり日本では脚気が広まりました。1950年頃まではっきりとした発症原因が分からず、日本では毎年数万人の死者を出していました。

 

現在、日本ではほとんど起きない病気ですがインスタント食品など偏食をしていると起こりうるそうです。海外ではBeriberiと呼ばれ、アフリカなどの最貧国ではいまだに発生しています。私も現在タイ王国で一人暮らしをしていて偏食気味ですが、バランスのいい食事に気をつけなければと思いました。